■手間要害山



手間要害山
寺内集落の北よりの中央部に標高330m.の手間要害山があります。この山に中世の城郭があったことは確かであり、おそらく山名氏の一族か部下がいた砦であったと思われます。この城は尼子経久が伯耆の国に侵入し、米子、天万、黒坂の不動ケ嶽、尾高、淀江の城を次々に落としたといわれる「大永の五月崩れ」の際に落城したとされています。その後は、永禄7年(1564年)に尾高城主杉原盛重の家臣菖蒲佐馬允ら330名がこの砦を守って戦いましたが、尼子義久が毛利元就に敗れ、吉川氏が因幡・伯耆を支配して以降、戦の記録はありません。

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