古事記編纂1300年 大国主(オオクニヌシ)死と再生の地 鳥取県南部町【赤猪岩神社・清水井】

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赤猪岩神社縁起

 

縁起

 

赤猪岩神社縁起(南部町寺内鎮座)
祭神 大國主神
   素戔嗚命すさのおのみこと

   刺國若姫命さしくにわかひめのみこと
   稲田姫命いなたひめのみこと

例祭 春   4月5日

   秋 10月5日

当社の創立年代は不明ですが、今より千参百年ほど前の和銅五年正月、西暦七一二年に編纂せられた古事記に依りますと、此の神賢明、仁慈を好み給われ、『初め兄弟八十神あり、大國主神と共に、因幡の國の八上比売やがみひめを訪問し給ふ途に、裸はだか兎あり八十神謀りて之を苦しむ、大國主神見て之を憐れみ為に療法を教へ給ふに兎喜びて謝し曰く、「八上比売は八十神の言とば聞き給はずして君こそ姫を得給ふべきなれ」と、八上比売の許に至るに果して其言の如し、於是ここに八上比売 八十神に答へけらく「吾は汝等みましたちの言ことは聞かじ。大穴牟遅神おおなむじのかみ(大國主神)に嫁はな」と言う。故爾かれここに八十神怒りて、大穴牟遅神を殺さむと共謀あひたばかりて、伯伎(伯耆)國の手間の山本(ふもと)に至りて云ひけるは「此の山に赤猪在るなり。故和礼かれわれ共に追ひ下りなば、汝待ち取れ。若し待ち取らずば、必ず汝を殺さむ」と云ひて猪に似たる大石を火以て焼きて転まろばし落しき。爾かれ追ひ下り取る時に、其の石に焼き著かえて死みうせ給ひき。爾ここに其の御祖命みおやのみこと(母神、刺國若姫命)哭き患うれひて天に参上まいのぼりて、神産巣日之命かみむすびのみこと(生成の神)に請もおし給ふ時に、及ち蚶貝比売きさがいひめ(あかがい)と蛤貝比売うむぎひめ(はまぐり)とを遣おこせて、作つくり(治療)活いかさしめ給ふ。爾かれ蚶貝比売 岐佐宜集きさげあつめて(けづり焼)、蛤貝比売 清水を持ちて、母の乳汁ちしると塗りしかば、麗しき壮夫おとこに成りて出で遊行あるきき』と古事記にありまして、此の手間山は大國主神の御遭難地である為に、ここにお祀りして、御神徳を称えたものであります。大國主神は出雲、伯耆を根拠として専ら山陰、山陽、北陸までの国土を御経営になりましたが、大神の御神性は特に英明、温厚篤実仁慈博愛堅忍不撓の精神を発揮され幾多の辛酸をなめられつゝ国土の開発に終始せられたその広大な御神徳は後世の人々の敬慕し奉るところで此の神社の創立せられた所以もこゝにあるのであります。大神の焼きつかれし猪に似たる石は地上にあって之を穢すを恐れ土中に埋没せりと云い伝えられ、明治四年無格社に列せられ大正六年久清神社を又大正九年に山頂の赤猪岩神社を合祀し、現在に至っています。

 近年では、八十神により落命された大國主神が、蚶貝比売きさがいひめ(あかがい)・蛤貝比売うむぎひめ(はまぐり)の治療により蘇生されたことから、赤猪岩神社は 蘇生・再生・復興(昇運)の神様の神社と知られて、関東 関西 九州方面から多数の参拝者があります。

 

 

大國主神は、素戔嗚命六世の孫とも、御子なりとも云い伝う。

素戔嗚命は、須佐之男命、建速須佐之男命とも云う。

刺國若姫命は、大國主命の母神。

稲田姫は、櫛名田比売とも云い須佐之男命に嫁すともある。

 

○清水井

 大國主神の療養に際し両比売の用ひし水は、当社より西へ約4町隔たった清水川地区に現存し、蚶貝蛤貝の清水と称して泉々として湧き出る水なり。

 

赤猪岩神社 宮司 

 
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